「ボダは自分の妄想の地獄に苦しんでいるだけ。
憎悪や嫉妬などの負の塊を自分の中に妄想として作り、恐怖しているだけだ・・・・」
もし、本当にそう想う人に問う。
何故そのような地獄を作ってしまうのか?
どういった心境から、負の塊を造り出してしまうのか。
その背景にあるものは何なのか・・・。
ボーダー被害者というのをよく見つける。
周りを無意識に振り回してしまうのも、症状の一つ。
自分でもコントロールできない感情を周りに当り散らす事もあれば、逆に「正しい事」しか認めたくないという気持ちがあるのも、症状の一つだと想う。
そしてその俗に言う「ボーダー被害者」は、その人だけを悪く言う傾向にあると感じる。
「ボーダーだから仕方ない。」
というのは、本人は不満に想う一言かもしれないけど、偏見では無いと思う。
(もちろん、言い方にもよる。寛容な態度で許す気持ちの場合。見下した気持ちがあるのならば問題だと想うけど・・・・)
何故なら、
「心臓が悪いのだから、激しい運動が出来ないのは仕方ない」
「目が不自由だから、助けが要るのは仕方ない」
「老体だから、介護が必要なのは仕方ない」
「更年期障害だから、イライラしてしまうのは仕方ない」
更に言うなら、
「携帯のショップ店員なんだから、携帯には詳しいだろう」
「魚屋さんだから、魚臭いのは仕方ない」
「居酒屋で朝まで働いてるから、夜に眠れないのは仕方ない」
と、同レベルだと想う。
「ボーダーだから、それ特有の言動があって仕方ない」
と、何故寛大な心を持って受け入れられない?
すぐに影響されて、不満を抱くのは、その人、つまりノン・ボーダーの人の問題じゃないのか?
もちろん、ボーダーやからって人を傷付けていいわけじゃない。
でも、ボーダーの人だって、傷付いたらどれだけ辛い想いをするか、人一倍に分かっている。
分かっているのに止められない衝動。
「ボーダーのヤツに振り回された」
と、言うけれど、
正直な話、振り回される人も未熟だと想う。
相手が境界性人格障害という病を抱えていると知りながら、しかしその魅力に魅せられ自己を見失った結果ではないのだろうか?
ボーダーの程度にもよるし、その幅もひとそれぞれ。
周りに対しても、自分に対しても悲観的で、当り散らしたり、理論的思考が出来ず、選択的思考になってしまう人もいるやろう。
だけども、それを分かった上で付き合っていて、何かトラブルが起こると「被害者」だと言うのは、
タダ単に「分かったつもり」で居ただけで、その苦しみの一部さえ汲み取れていなかったかもしれない。
そういう場合、自分の事を被害者だと言う人は、その人の「被害妄想」なんじゃないかなって想う。客観的に見れていたなら、ある程度予測できるはずだ。最悪の事態だって・・・・。
ボーダーの人は、その魅力から、人を操るといわれる。
そして操られた人は「利用された」と言い、結果、「境界性人格障害」という人格障害そのものを毛嫌いする。
色んなケースがあるのに。
色んな人がいて、色んな状態があるのに。
操られた自己の未熟さを正当化するために、ボーダーの人格ではなく、人間として悪く言う。
そして生まれる、社会的偏見・・・・。
出来る事なら、教えて欲しい。
「ボーダーの苦しみは自分で作った地獄」というのならば、
何故そのような事態になってしまうのか・・・。
ドコからそういう発想が浮かんできてしまうのか。
些細な事で傷付くというのも、果たして被害妄想の類なのか・・・・。
人の事を平気で悪く言える人は、何様なのか・・・。
人をけなす事で、八つ当たりをしている人を、ネット上で見かけると、
その人こそ、人格に問題があって、自覚していないのではないかと想う。
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