鞆絵は、カウンセリングと診察の二本立て。
人生初めてのカウンセリングで、昨日が2回目やった。
話した事といえば、mixiで起きた事件、その時に言われた言葉・・・・。果たして周りはやっぱりそうなのか?って不安。
それから、本音と建前について。
曖昧な返答。特に「考えておくわぁ~」っていう、その場しのぎの返事ってキライで、そういう場合、大抵後や直前になってから「やっぱ無理やわ~」と言い訳してくる。
その話題が出たときに、無理っぽいのが分かっていても、少しそうやって期待を持たせる返事。
本音。
言ってしまえば、人を傷つけてしまうこともあると想う。そういう本音は避けたいと想っている。
誰も傷付けたくない。
だから・・・あたしは、リアルでの人との関係が難しく思える。
それで失敗した事もあって、
「本当に想っている事を無闇に言ってはいけない」というルールが確立した。
でも、それって、
適当なその場しのぎの、相手に合わしたことしか言えないんじゃないか??
矛盾した気持ち。
学生の頃は、そういう大人の曖昧な返事や考え方がキライやった。
ハッキリしてる方が気持ちがいい。
だから、そういう大人にはなりたくないと想っていた。
でも現実、鞆絵はもしかしたら、なりたくなかった大人像になりつつあるんじゃないか??
そう想うと、自分がイヤになる。
イヤになるから、本音ばかり言っていても、人を傷つけたり、迷惑かけたり、タダの我儘だったり、人から嫌われたり敬遠されたりするっていう事を知った。
大人の世界は複雑だ。
幼い子供なんて、お世辞や社交辞令を言わない。
どうして大人になると、そういう事が必要になってくる社会なんやろう。
やりにくい。
生きにくい国民性。
それから、エネルギーに関しての話もした。
以前は死にたいと想って止まなかった。生きていることに意味も価値も見いだせなくて、辛いことばかりやったから。。。。
でもそれは、「生きてる事」を自覚してるから、「死にたい」っておもったんだと想う。それだけのエネルギーがあった。
すごく怒ったり、めっちゃイライラしたり、そういうエネルギーもあった。
なのに今は違う。死にたいとあまり想わなくなった。
同時に、「生きてる事」をリアルで感じられへんくなった。
激怒したりめっちゃイライラすることも減った。
気力も少ない。
その日の夜に同じ話をした旦那の尭志(タカシ)はそれでいいという。
カウンセラーさんは、成るほど成るほどと、相槌を打つ程度。
カウンセリングなんて、自己分析の場所なんよね。きっと。
生も死も自覚できない。
なんか、遠い世界の話みたい。
mixiで起こった事件だって、鞆絵は渦中の人やったのに、他人事のように感じた。
実際、一人の人が起こした被害妄想やったわけやから、鞆絵にとっては罪を着せられた、という感じやねんけど・・・。。
でも、物事を、そういう風に無関心で、傍観者のようにいてる自分がイヤなんよ。
突破口は見えへん。
今はまだ、暗闇の中。
もがいても、足掻いても、出口は見えない。
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