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メンタル的病の事とか、愛方との生活とか。いろいろ。
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「正論は人を傷付ける」


って、昔医者に言われた。


それって本当?


間違ってる事を間違ってるといったら、人は傷付くの?


人の何が傷付くの?

心?

陳腐なプライド?


悪い事を悪いと言って、人を傷付けるなら、

鞆絵は、

誰とも喋りたくない。

誰とも接触したくない。


本当に、そんな世の中なの?

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時には
正論を言うべきでしょう。でも時には違う事を言うのも又正論なんです。白を黒と言うことも大事な時があるって事ですかね・・・本当は正論だけでいけたらいいんですけど・・・
くんま 2008/04/16(Wed)16:48:28 編集
無題
先日は訪問いただきましてありがとうございました♪
すごく共感できますねぇ♪
僕は正論をズケズケと言う方です。
でもそれで損をすることもあるんじゃないですかねぇ・・・。
自分自身が正論を言って損をしても良いと思っていればいいんじゃないでしょうか!
最終的には自己満足ですからねぇ。
応援ポチさせていただきます!
うた URL 2008/04/16(Wed)17:29:35 編集
無題
正論をちゃんと言えるのは偉いと思うよ!
マサミは思ってても口に出せないで蓄積してしまうから・・・。
マサミの場合、正論を言いたくても自分を守る気持ちの方が勝って、言えないんやけどねー。
ホントは正論だけでいけたら良いんだけど・・・。
マサミ 2008/04/16(Wed)18:14:12 編集
無題
「正論は人を傷つける」、その言葉を医者がどのような前提に基づいて言ったのか、興味がありますが、言葉のやり取りというものは、全てが同じでは無く、その時の状況に応じたものなので、特定の条件下で発した言葉だと思います。人と人との言葉、意思の伝達は、全てケースバイケースだと思いますよ。
同じ言葉を発しても、その時の状況、相手によりその言葉の意味は異なると思います。
正論と言うものが、諸条件により異なるということがあるのが、人間の社会です。人類の歴史において、正論とは勝者の論であり、必ずしもその時代の人間の感じる正論では無いのではないかと思います。絶対多数の論が正論なのか?わかりません。
今の世の中、正論が何であるか、わかりません。そして、人間は社会生活において多様な状況に置かれるので、常に正論というものが一つであるとは言えません。日本での正論が世界中の全ての国での正論では無いということもあるでしょう。「正論」という言葉は、単なる言葉に過ぎず、常に定まらず、常に人の間では異なるものだと、私は思います。
だから、単なる一個人である医者の言葉にとらわれる必要はなく、気にしないで生きていけば良いと思います。
一人の私 2008/04/16(Wed)23:11:18 編集
正論について
この頃は、正論をいうと、KYって言われる事が多くなりましたね。
 無難に生きて傷の舐め合いがいいの
かな?正論が正しいとは限らない。
KYが間違っているとも限らない。
 傷つけ無いように生きる意味?
それが、トモダチ?疑問です。
 ごめんなさい。やありがとうって
言葉を多用すれば、円滑に生きられ
るって思います。貴女のブログに
ありがとうです。
wです。 2008/04/17(Thu)00:22:17 編集
無題
私も同感です。
間違ってるものを間違ってると言わないでいると皆上辺だけの付き合いになっちゃって、人間不信に陥りそうじゃないですか?
私は正直に正面から人と付き合いたいから、それは出来ないなぁ。。。
ノン URL 2008/04/17(Thu)01:18:57 編集
無題
あああ…どうなんでしょうかねぇ…。
私としては、「正論は人を傷付ける」と言ったお医者様の言葉そのものは、理屈抜きで割としっくり来ますねぇ…。
…そういえばかなり「正論」言わなくなりました(笑)

なんだろ、「正しいと思うことを言う言わない」が問題だというよりは、「自分の発言や考えが、そもそも”正しい”とは限らない」という認識の方が大事なんだな、というのが、私の落としどころだったような気がしますが…。これはそれこそ「正論」ですけどね(笑)
うん、後は、「正しいかどうか」よりも、「他者の痛み」の方がずっと大切だなぁと、多分、いつかどこかで思ったんだと思います。正しく在ることより、人の気持ちを大切に思いながら生きる方がずっと良いな、って、何かの拍子に実感したんだと思います。
URL 2008/04/17(Thu)02:40:20 編集
無題
コメント入れちゃった後に「何か話、ズレてる」と気づきました…すみません(汗

うーーん…人の何が傷つくの?と言われたら、「心が」なんですが…。
皆それぞれの場所で、最善を尽くそうと必死に努力している訳で、そして皆万能ではないし、強さも弱さも持ってる訳で…。「正論」って、出しようによっちゃぁ、そういう細かい心のひだや(現実だからこそ在る)それぞれの複雑な状況を、全て「無かったこと」にして「決めつけて」しまう危険性をはらむ、というか…。
まぁ、だから要は「相手の気持ちや心を慮った上で、それでも言うか言わないか、あるいはどう言うか」って所が、現実的具体的な焦点だと思うんですが。

そう思うと、「正論に傷つく」というのはつまり、「ボーダーなんて、つまり甘えてるだけ。自分で何にもやらず頑張らず、ワガママ放題やってる被害者意識の固まりな人で、生まれついての”加害者”だ。要は人間失格。生まれてきたのが間違い」とかって言われる時に感じる「痛み」と同じなんじゃないかなぁ…、と思いました。「それは正論じゃないから」とかではなくて、単に「痛い」か「痛くない」かで(上述の「酷過ぎる」言葉も、発話者にとっては「正しい」事が、往々にしてあるので)。

うーーん、でも「こう言われても別に私は全くカケラも痛くないし腹も立たない」と言われたら、どうしようもないんですが。

うーーーん…何か橋渡し出来たらなぁと思ったんですが…難しいですね。微力でごめんなさい。
URL 2008/04/17(Thu)02:57:58 編集
はじめまして。
納得できるかは判りませんが。。。

結局は、その人の考え方が、その人にとっての『正論』なんじゃないですかねぇ。

共感出来るか出来ないかは重なる部分がどれだけあるかって事だと思うし。

『正論は人を傷つける』はその重ならない部分でのことであり、『人を』は、心(気持ち)を踏みにじるってことじゃないかなぁ。。。
一生懸命やってる人に『なんでこの程度しか・・・』なんて言ったら(誰が見てもそう思ったとしても)言われた人って多少なりとも傷つきますよね。

言葉って、気持ちを伝えるものだけど傷つけることもある。何処まで言っても大丈夫かは、その人との付き合い方(親しさ)によっても違うし、同じ人でも、その時の表情、口調によっても変わってくるし。

難しいですね。。。。。
人付き合いも、自分の気持ちを伝えるのも。(思っていることほんのチョットでも伝われば良いのですが。。。)

お邪魔しました。
cx URL 2008/05/03(Sat)05:44:44 編集
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鞆絵
性別:
女性
自己紹介:
自分がBPDだと医師からの診断があったのが、2004年。
二次的障害の鬱病の診断はその一年前。

そんな鞆絵(トモエ)と、愛する旦那の尭志(タカシ)、にゃんこ二人の生活。

主に愚痴。
病についても語ったり、日常の様々な事に対しての想い。

時間単位で変わる自分の気持ちをコントロールして、ボーダーである自分と上手く付き合っていくために、現在闘病中。

関西圏に住んでいるので関西弁。

※ブログタイトルは、「そうかいのいちぞく」と読んで、意味は「大海原に浮かぶ一粒の粟(あわ)。人間の存在は、広大な宇宙からみれば非常に小さいものであるというたとえ。または、宇宙の中における人間の存在。その儚さの喩え。」

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