----月は何をすのものでしょうか?何のためにあそこに、ああしているのですか?こうして夜の散歩に出かけるときは明かりとして人の役に立ちますけれど、いつも同じように役に立つともかぎりません。晴れていても月の出ない夜もあります。とても気まぐれですね。
-----そうね。でも、それは月だけのことではありません。この世にあるものすべてにいえることです。空も、地面も、植物も、動物も、そして、人間も、すべてのものは、何のために、そこにあるのか、わかりません。ただ、一つのものは、他の沢山のものと関係しています。一つのものがなくなれば、他のものも、そのままではいられません
----では、その、他のもののためにあるのですか?月もそうですか?
----いいえ、他のもののためにあるのではなく、あることによって、他のものに影響与えてしまうのです。月があるために海の干満が起こります。だから、月がなくなれば、潮の満ち引きを必要としている生物は死滅するでしょう。しかし、月は、それらの生命を生かすために、そこにあるのではありません。
----海は、月よりは、人間に必要なものに思えます。
----それは、人間との関係が強い、ということ。
----人間も、他の多くのものと関係しているのですね。
----そうです。一人一人の人間の存在が、その周囲に影響を与えます。その一人がもしいなくなれば、周囲の者は、困ったり、悲しんだり、あるときは喜んだり、あるときは生活に大きな変化さえ起こることがあります。ですけれど、
その一人はそれらの人のために存在していたのではありません。つい、誰かのためになりたい、みんなの役に立ちたい、そうして、自分の存在の理由にしたい、と人は考えがちなのです。存在の理由を、わからなままにしておけないのね。常に答を欲しがる。それが人間という動物の習性です。
----欲しがってはいけないのですか?
----いいえ、欲しがることは間違いではありません。しかし、答はないのです。完全なる答などありません。それは、貴女が、あの月へ向かって歩き続けることと同じ。月は目標にはなるけれど、あそこに到達することはできないでしょう?それはわかりますね?存在の理由をいくら問うても、答えはないのです。でも、それを問い続けることは、とても大事な事ですよ。
----神様にも分からないことがありますか?
----ありますよ。分からないことがあるから、人は優しくなれるのです。
----どうしてですか?
----すべてがわかってしまったら、何も試すことができません。何も試さなければ、新しいことは何も起こらない。神が試さなければ、この世はなかったでしょう。人も、分からないことの答を知りたいと思って追い求める。そこに、優しさや、懐かしさ。そして。喜び、楽しみが生まれてくるのです。
森博嗣/四季 冬「第4章 青い部屋」より
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