肩の荷がおりたのか、
張り詰めていた緊張が解けたのか、
鞆絵は、誰だっただろうか。
存在してるのだろうか。
今見ているこの景色は、本物だろうか。
・・・・分からない・・・・
そういう疑問が、徐々に濃くなってきて、
ちょっと、苦しくなってきた。
その一方、前の記事に書いた事について
もう一歩深めて、
たぶん鞆絵が想ってると想う事を、
独り言のように書く、、、、と想う。
目標が無いと想うって書いた鞆絵に、
ヒントを与えてくれた。
ほんの一例。例えば、の話。
自分が出来てない事をやってみるという、目標。
一人で外出する
一人でバスや電車に乗る
社会に出る
リア友を作る
現実を肌で感じる
楽しむ
喜ぶ
生きる・・・・・・・・
生きてはいる。・・・と、想う。
肉体的苦痛、例えば筋肉痛だったり、足のだるさだったり、肩こりだったりは、ダイレクトに感じる。
でも、その原因が、よく分からない事が多いだけ。
一人で、
外出し、
電車に乗り
バスにも乗れる
今、出来てない事。
出来ないと想ってる事。
本当は、出来るはずだ。
だけど、
何のために?
無駄にお金は使いたくない。
今、この生活で、充分困っていない。
電車に乗らずとも、バスに乗らずとも、一人で買い物に行かずとも。
何も、困っちゃいない。
なのに何故、
自分を試すような事をする必要が、どこにある?
無理をする必要がどこにある?
必要ならば、一人で病院に行く。
ほら、出来るやん。
普通、生きていくためには、最低限の行動。
目標にするには、当たり前すぎるといっても、過言じゃないと想う。
病気のせいにしてる自分が居てる。
そう、
理想が高い。というやつかなぁ・・・・?
昔できてたことは、今も出来て当たり前。
だから、出来るし、
出来ないなんて、ありえない。
ならば、鞆絵の理想は、
過去の自分なんだろうか。
一人で人の多い繁華街に出かけた中学生の頃
ヒマがあれば、家から出かけて、無駄に歩いた。
人 人 人
早歩きの周り。
足に、ローラーがついてるんじゃないかってくらい
早い流れの中で、その上を行く速さで歩いていた。
周りが遅く想った。
今は、周りが無意味に、歩くのが早すぎると想うけど
交差する人の中で、
誰よりも早く歩いて、
けれど、絶対誰にもぶつからない。
道が見えてた。
歩く道。
人をよけて歩く、その先が。
中学の時も、高校の時も、
ヒマがあれば、家から飛び出して、
自転車に乗って、町を駆け巡った。
この道をまっすぐ進めば、どこにいくのだろうか。
この道の先はどうなっているのか。
人と、普通に話せた。
人見知りはあったけど、分からないように出来た。
ニコニコ笑ってられた。
一人電車に乗って遠出して、
彼氏に会いにいってた。
そうだ、専門学校では、電車通学だ。
満員電車の中、朝から
ガタン ゴトン 揺られて
学校に通ってさえいた。
苦も無く出来ていた。
発病する前と、してからの自分を比べるのは良くない、
と分かっているけど、
あの頃の自分を、無かったかのようにしたくない。
あの頃あっての、今だから。
でも、どうしたもんか・・・・
だからと言って、あの頃に戻りたいとは微塵も想わない。
何故か、今のほうが、自由を感じる。
一人で買い物にも行けないくせに、
一人で電車にも乗れないくせに、
仕事もしてないくせに。
なのに不自由さを感じない。
満足している。
尭志が働いて、それなりの収入を得てくれているから、
その有り難さで
鞆絵は、もう、それ以上は求めない。
ふと、思い立って、
バスに乗って友達に、
会いにいけるような気が、何となくする。
今まで出来てた事なんだから、
出来ない事はない。
必要があれば、必要なときに、すればいい。
そんな気持ちで、
甘えてるのかもしれない
きっと、そうだと想うけど。
でも、それじゃだめかな?
一人で散歩に出かけたって、
とても、寂しい孤独を感じるような気がする。
ならば、行かない方がいい。
孤独は、家の中だけで充分だ・・・・・・・・。
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