どうしていつも、同じ顔ができひんねんやろう・・・。
無表情とかじゃなくてさ、
嬉しい事があっても、
いつまでもニコニコしてられない。
むかつく事があっても、
いつまでもプンスカ怒った顔ではいられない。
辛い事や哀しい事があっても、
いつまでも泣いていられない。
楽しくて面白い事があったら笑うけど、
いつまでも笑った顔ではいられない。
喜
怒
哀
楽
沢山の表情があるのに、
ずっとそのままの顔ではいられない。
いつかは、違う顔になる。
人の前でも、
人が違えば、表情や口調さえも変わる。
当たり前といえば当たり前なんやけど、
どんな事があってもお腹は空くし、眠気も来る。
いつでもニコニコしてたいなって想うのに
続かない。
泣きたいのに泣けなかったり、
怒りたいのに怒れなかったり。
ん・・・・・
別に答えというか、なんでなのかってのは分かってるけど、
ただ
ふと、そういう事に疑問を持ってしまって、
ずっとニコニコしてられないのも、
腹が立ってもずっとプンスカしてるわけにはいかないのも、
孤独で寂しくて、思い通りにいかなくてもずっと泣いてられないのも、
めっちゃおもしろい事があっても、ずっと笑ってられないのも、
分かってるけど。
でも、
なんだかさ・・・
ねぇ?
って、意味不明やなぁ・・・。
今は、生きるとか死ぬとかじゃなくて、
ただひたすら、空白だらけの日課をこなしてる。
時間が過ぎるのを、待ってるだけ。
いつまでも、きっと
今が過去になるように、時間をもてあまして浪費して、
それでも、その先に何があるかって考えても、
実際、何も無いんよね。
そんな事を考えてるとさ、やっぱ堕ちていくんやけど、
また同じように考えて、
堕ちていったその先に何があるかって考えても、
やっぱり何も無い。
時々想う。
鞆絵は、本当に現実世界に存在してるのか?って
家の中では以前に比べて家事が出来たりして、
引っ越す前よりは、だいぶ動けている。
でもそれは、家の中だけであって、限られた空間。
外に尭志と出かけたときも、
周りと自分の間に「何か」があるような。
それは、鞆絵が作り出したものなんやろうけど、
一歩外に出たときの「現実」も、
なんだかリアリティを感じられない。
そんな風に感じる自分がイタイ子やなって想う。
他の人はどうなんやろう?
自分が本当に「現実」に生きている実感はあるのかなぁ・・・。
仕事とかしてたら、イヤでも現実を思い知るんやろうけど、
その現実だって、本当はとても小さいものかもしれない。
今までの経験は、そうやったから。。。
もちろん、違う世界もあるとは想う。
ぷふっ
ダメだ・・
自分から世界を小さくしてて、
自分から、世間を遠ざけといて(人と接するのが怖くなったから)
こんな事ぼやいたら
ただの自己中な自分勝手やわ
でも、人間ってそういうもんなんかなぁ~・・・。
ふぅぅぅぅぅ~---。
PR